まずは自己紹介と生い立ち

f:id:eyasu2008:20170109110933j:plain

 

 

はじめまして、yasuといいます。このブログを訪問頂きありがとうございます。

 

メール

 

今年で30歳になるどこにでもいる平均的なサラリーマンです。20代の人生を振り返るといつもお金がなくて失敗ばかりの人生でした。そんなときに投資に出会ってから人生が変わりました。

 

お金とは不思議で資産が増えてくると、心も穏やかになってきます。自分はお金が好きだということに気付きました。心に余裕ができタバコやお酒を飲む量も以前よりも減りました。 

 

お金がないことに不満を持っている人がいたら、是非このブログを参考にしてほしいと思っています。

 

www.eyasu2008-2.com

新卒で入社した会社を1年半で辞める

 

わたしは大学の就職を開始したあたりから、仕事で成功したいと思うようになりました。

 

大企業で働くよりも中小企業の方が実力が認められて、はやく成功できるに違いない、営業や一般職よりも専門職の方が実力に差が付きやすいと思い、プログラマーという職業を選択しました。

 

しかしこれは間違いだったことにすぐに気付きます。

 

社会人になって銀行に最初に振り込まれた給料は、たったの13万円しかありませんでした。どこの会社でもあるように初任給が20万円と書かれていましたが、税金とそのときホテルに仮住まいしていた分を引くとこれしか残りません。

 

大学生のときは、社会人はお皆お金を持っているものだと安易に思っていました。

 

このときは、自分ならすぐに出世してすぐに給料が増えるから、まあいいかと深く考えないようにしました。

 

遊んでばかりいる同期をどこか見下し、週末も資格のために勉強していました。

 

そうこうしている内に1年経ちます。

 

2008年のリーマンショックの影響で人生初のボーナスは10万円台でした。社会人2年目は住民税が発生するのでますます収入が減ります。

 

昇給の時期になり、自分の給料が3000円上がることを聞き、正直まじめに働いて勉強することがバカバカしくなりました。

 

30歳を超える先輩社員の給料を聞いたときに、少なすぎてびっくりしました。どうやってそのお金で将来家族を養っていけばいいのか。

 

このままここに居ても、自分は一生成功できないなと思い1年と半年で会社を辞める決断をします。

 

国立大学で奨学金なしに生活させてくれた親に申し訳ない気持ちもありましたが、ガマンができませんでした。

 

このときには、日本の会社の閉塞感にもうんざりしていました。

 

3ヶ月間の海外留学

 

人生を一発逆転するためいには、英語を極めて海外で仕事をするのが一番の近道だと思うようになりました。その後、3ヶ月間途上国で英語の短期留学をします。

 

留学学校で思ったのが、レベルの低さにびっくりしました。8割くらいが日常英会話すら話せなかったし、日本人同士で群れて遊んでばかりでした。

 

日本に帰国してからは職探しをはじめますが、英語もIT知識も中途半端、空白期間が6ヶ月もあったので、前社よりもレベルの下がる企業にしか入れませんでした。

 

英語をマスターするために仕事を辞めて留学までしたのにと、劣等感が半端なかったです。給料も安く普通に生活していたら、月に3万円程度ようやく残るレベルです。

 

人生初の海外勤務へ

 

その後半年ほど働きましたが、やっぱり海外で仕事したいという気持ちが捨てられず、3度目の転職活動をはじめます。

 

海外で仕事したい夢を捨てられずというと聞こえがいいかもしれませんが、実は2社目の会社にも嫌気がさしていました。

 

IT業界で働いたことがある方ならわかると思いますが、中小企業で働くエンジニアの多くははほとんどが出向先で働きます。

 

出向先で自分の会社の製品でもないものを、遅くまで作り続けます。毎日夜の11時まで働く生活になっていました。当初は残業代が出ていたので我慢できましたが、途中からみなし残業に切り替わったためなくなりました。

 

遅くまで働いて残業代も出ない、外に持ち出せる技術でもない、危機感しかありませんでした。

 

アジアの途上国でプログラマーを募集している、企業を見つけてあっさりと移動しました。

 

日本の製造業はアジアに開発拠点を持つ企業は少なくありません。

 

給与は現地払いで安かったですが、海外で仕事して英語をマスターして日本に帰って来たら、高収入の会社に転職すればいいやと思っていました。

 

海外で働いてわかったことですが、結局働くのは日本企業です。その会社の契約先はすべて日本企業です。

 

なので結局やることは日本にいて仕事をするのと大して変わりません。むしろ言葉も文化も違う人たちと仕事をするという点で、仕事がやりにくくなっただけです。仕事がやりにくい、その上給料が半分、ストレスで10kgくらい太りました。

 

わたしのように、日本の社会の閉塞感に不満をもつ、海外だったらと突破口を開こうとする人は多いですが、日本ですでに成功できていなければ、海外で成功することはありません。

 

日本の会社にいようが、海外の会社にいようが労働者という現実は変わりません。海外にいようが日本にいようが、仕事はみな一緒です。

 

日本にいて突然年収が1000万円にならないように、海外にいて帰って来たからと突然1000万円になることもありません。

 

現在かかえている不満を冷静に突き詰めていくと、労働者ということに不満を持っている人は少なくありません。

 

労働者として不満を持っていると、転職しようが、海外で仕事をしようが根本的な問題が解決することはありません。

 

日本に帰ってからの生活

 

その後2年ほど海外で働き日本に帰って来ました。

 

結局いろんな事に挑戦して必死に走り続けたけど、振り出しに戻った気持ちでした。27歳そのときの年収は、330万円しかありません。このときには、もう自分はサラリーマンとして稼ぐ能力がないことを悟りました。

 

自分を冷静に見つめなおすと、純粋にお金がほしかったことに気付きます。英語が好きだから海外に留学したのではなく、ITが好きだからプログラマーを選択したわけでもありません。外国人と一緒に仕事したいから海外で仕事をしてきたわけではありません。

 

根本にあるのは、お金がほしかったからです。

 

そう思ってからはダイレクトにお金の勉強を始めました。株式投資の本を2年間くらい読み漁りました。週末に仕事関連の専門書を読むとストレスになりましたが、投資の本を読むのは一切ストレスになりませんでした。

 

自分が好きなことを勉強できているからです。

 

今までは会社の仕事に打ち込んできましたが、どんどん依存度を減らしていきました。そうすると不思議と会社の給料も順調に上昇していきます。

 

頑張りすぎていたため、空振っていたことに気付きます。今年は東京に移動するため、物価手当が付いて500万円くらいに落ち着きそうです。

 

<年収>
2013年、330万円
2014年、360万円
2015年、400万円
2016年、440万円

 

精神的に余裕が生まれるとお金も次第に増えてきます。帰国後は50万円も貯金はありませんでしたが、順調に増えてきました。

 

<金融資産>
2013年、130万円
2014年、236万円
2015年、362万円
2016年、520万円

 

これからやりたいこと

労働者として働いていると自分の好きなことに時間を使えないため、どこかのタイミングで完全にフェードアウトします。今はそのための準備期間です。

 

世界を放浪しながら、投資の道を極めるつもりです。

 

このブログのタイトルを「年収300万円のサラリーマンが株式投資でセミリタイア」にしたのは、年収が300万円しかないときに株式投資を始めて、セミリタイアすることを目標に設定したからです。